山あいの道を走っていたら、ふいに時間が余ってしまった。
目的地に着くにはまだ少し早いし、あたりはすでに夕暮れどき。空が暗くなるのを見て、ふと思った。
「今日は駅のそばで寝ようかな」
細い道を抜けた先に、小さな無人駅がぽつんと現れた。
誰もいない駅舎。周囲には民家もほとんどなく、ホームには木製のベンチがひとつ、照明に照らされて浮かんでいた。
最終列車はもうとっくに行ってしまったらしく、静けさが夜に溶けていく。
バンを駅前の駐車スペースに停め、毛布を取り出して寝る準備をはじめた。
窓の外に映る駅の光景が、なんとも言えず心地よかった。
ただ、どこか「静かすぎる」とも思った。
夜十時ごろ。
本を読んでいた手をふと止めて、ふと外を見た。
──ベンチに、何かが座っていたような気がした。
目を凝らす。
けれど、そこには誰もいない。
照明がつくっている影が、たまたまそう見えただけだったのかもしれない。
「いや、でも……確かに、いたよな」
人が背を丸めて座っているような、そんな姿だった。
でも気のせい、と思うことにして、本に視線を戻した。
深夜、カーテンを閉めようとしたとき、音がした。
カツーン……カツーン……
ヒールのような、硬い靴音がホームから響いてくる。
すでに列車は走っていない時間。駅に来る人なんて、いるはずがない。
そっと覗いたホームは、やはり無人だった。
でも音は確かに聞こえた。誰かが、ベンチのあたりを歩いていたはずだ。
「空耳じゃない。絶対、いた」
急に心細さが込み上げ、車内の灯りを消して毛布をかぶった。
耳だけがやたらと敏感になり、遠くの虫の声すら妙に鮮明に聞こえる。
そのまま、眠ったのか眠れなかったのかも分からないまま、夜が過ぎていった。
朝。駅前の空気は澄んでいて、静かだった。
コーヒーを淹れながら、もう一度ベンチを見た。
ただの木製ベンチ。人も気配もない。
……だけど、昨夜のあの影は、なんだったんだろう。
駅は、記憶を溜めておく場所なのかもしれない。
いろんな人が、いろんな思いを持って乗り降りした、その“痕跡”が、夜になるとふっと浮かび上がる。
誰かが、そこにまだ座っているように。
もしかしたら、あのベンチには今も、“誰か”が座っているのかもしれない。
乗り遅れたまま、時間の中で待ち続けている誰かが。
車に乗り込み、静かにエンジンをかける。
バックミラー越しに、もう一度ベンチを見た。
何もない。ただの空席。
──でも、あれが“本当に空席かどうか”は、誰にもわからない。


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