山奥の無料キャンプ場に着いたとき、あたりはすっかり暗くなっていた。
廃校の裏というロケーションに一瞬ひるんだけれど、空気は澄んでいて、星がこぼれるように瞬いていた。
風はなく、鳥の声ももうしない。
音のない夜というのは、それだけでどこか特別な静けさがある。
車を停めて、バーナーでお湯を沸かし、カップラーメンと缶詰で簡単に晩飯を済ませる。
「この静けさ、悪くないな」と思いながら寝袋に入った。
夜九時を過ぎたあたりからだった。
車内にいながら、どこか“空気の質”が変わった気がした。
ひとりきりのキャンプは慣れている。
それでも、たまに感じる「誰かに見られているような感覚」には慣れない。
背中がじわりと冷える。
気のせいにして目を閉じた、そのときだった。
──コツ、コツ。
助手席側の窓を、誰かがノックした。
風か? いや、明らかに違う。
一定のリズムを持った、意志のある音。
カーテンの隙間から、そっと外を覗く。
……何もいない。音も止んでいた。
気のせい? 夢?
そんなふうに思いたかったけれど、胸のあたりが妙にざわついている。
少しすると、今度は後部ドアからトントンという音。
「おいおい……」
思わず声が漏れた。
でも、怖さが完全に勝って、身体が動かない。ライトもつけられない。
車から出るなんて、考えられなかった。
音は、一度、止んだ。
……が、すぐに何かが車のフロントを踏む気配がした。
ごそ、ごそ、ごとん。
気配のする方に、意を決してライトを向ける。
──いた。
そこにいたのは、茶色い丸い影。
バンパーに乗って、前足でペットボトルをポカポカと叩いている動物。
たぶん、タヌキ。
こっちを見ている。まんまるな目が、夜のライトに反射して光っていた。
しばらく見つめ合ったあと、タヌキはひょいっとバンパーから飛び降りて、草むらの奥へと消えていった。
まるで、何事もなかったかのように。
「……いや、なんなんだよお前」
緊張が一気に抜けて、笑いがこみあげてきた。
深夜のノックの正体は、まさかのタヌキ。
怖さと脱力が同時に押し寄せるなんて、なかなか味わえない体験だ。
朝。
静かな空気の中、バンパーには小さな足跡がぽつぽつと残っていた。
星空の下で訪れた“山の住人”が、本当にいた証拠。
廃校の裏という立地に勝手に怖さを重ねていたのは、自分自身だったのかもしれない。
でも、もし次にまたあの音を聞いたら……たぶん、同じようにビビると思う。
だって、タヌキだとしても——夜中にノックされたら、それはやっぱりちょっと怖い。


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